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    <title>百人一首の意味！</title>
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    <itunes:summary>百人一首は小倉百人一首（五色百人一首という方がお馴染みかしら）としてよく知られていますね！ このブログでは番号順に百首それぞれの意味を考えていきます。 百人一首の意味を考えるのは推理小説を読むより面白い！ おそらく従来の解釈とは違っています。 でも根拠はあるのです。 ときどき雑話記事も交じります。</itunes:summary>
    <itunes:keywords>百人一首 五色 小倉 ゲーム 意味 一覧 かるた 覚え方 おぼえ方 おぼえかた 京都 cd</itunes:keywords>
    
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      <title>百人一首１２－２ 神話</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/35676311.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよをとめの姿 しばしとどめむあまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよをとめのすがた しばしとどめむ僧正遍昭百人一首１２－１ クラシックの続きです。２．雲の通ひ路雲の中の、天と地とを結ぶ通路のこと。天女はそこを通って天地を行き来していると考えられていました。つまり五節の舞姫を天女に見立てているのです。「天女のような」といった比喩的な言葉を使わずに、幻想をそのまま詠んでいるのがシュールですね。この歌が五節の舞のことを表現しているのを知らなければ、単なる神話の中の一首のようです。幻想を使って、ある感情を表現する。和歌の前衛的なところです。３．吹き閉じよ雲に吹いて、雲で通路をふさいでおくれ、と「天つ風」に呼びかけています。「吹き閉じよ」なんて、ダイナミックな表現ですね。４．をとめの姿「をつ」という動詞があります。若がえる、あるいは、若々しい活力がもどるの意。「をとめ」や「をとこ」という言葉は、この「をつ」と関係があると言われています。「め」は「女（め）」また「こ」は「子（こ）」で、それぞれ、婚期にある少女、婚期にある若い男性の意。平安時代以後、「をとめ」は「五節の舞姫」の意味で使われることもありました。続きは次回に。１１位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Sun, 11 Mar 2007 00:47:35 +0900</pubDate>
      <category>１１~２０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首１２－１ クラシック</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/35514535.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよをとめの姿 しばしとどめむあまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよをとめのすがた しばしとどめむ僧正遍昭１．天つ風「遍昭」というのは出家後の名で、俗名は良岑宗貞（よしみねのむねさだ）さんといいました。この歌は出家前の作。「五節(ごせち）の舞姫」を見て詠んだとされています。「五節の舞」は天武天皇が吉野山で天女の舞を見たことが起源とされ、公卿、国司から召された美しい未婚の少女たちが、五穀の豊穣を祝って舞を奉納する宴でした。「天」につきましては百人一首２－３、百人一首７－１ 最も有名？もご覧ください。「天」は、何も無い意の「空（そら）」とは違い、「天上にある世界」の意味がありました。「つ」は百人一首１１－１ わたでも触れましたが、現代語では「の」に置き換えられます。この歌は『古今和歌集』に採られていますが、「つ」を使った言葉は、少なくとも『万葉集』の時代には既に、古い言い回しであったらしく、クラシックの雰囲気を持っていたようです。典雅ですね。初句では「天の風よ」と呼びかけています。百人一首１２－２ 神話に続く。８位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Thu, 08 Mar 2007 22:23:09 +0900</pubDate>
      <category>１１~２０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>だから伝説</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/35460310.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。百人一首１１－４ 印象派の補足です。『万葉集』に次の二首の歌が見えます。難波津に 御船下ろ据ゑ 八十楫貫き 今は漕ぎぬと 妹に告げこそなにはつに みふねおろすゑ やそかぬきいまはこぎぬと いもにつげこそもう一首は長歌で、抜粋して引用すると、難波津に 御船浮け据ゑ 八十楫貫き 水手ととのへて 朝開き 吾は漕ぎ出でぬと 家に告げこそなにはつに みふねうけすゑ やそかぬき かこととのへてあさびらき わはこぎいでぬと いへにつげこそこの二首、「八十」「漕ぎ」「告げ」などの言葉が、小野篁さんの歌と共通しています。強いていえば「難波津」ということも。この二首は防人の歌で、船旅に出たことを妻あるいは家族に伝えておくれ、という内容。ここで推論。百人一首の小野篁さんの歌は、実は詠み人知らずの防人の歌だったのでは。でも小野篁さんの境遇ともピッタリであったから、小野篁さんが歌ったことにしてしまったのではないでしょうか。誰からともなく。「八十楫貫き」は「たくさんの櫂を、穴を通して取りつけて」の意。「朝開き」は「朝早く」の意。１８位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Thu, 08 Mar 2007 01:05:49 +0900</pubDate>
      <category>雑話</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首番外７ 最初の詩</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/35389021.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。      一  薔薇ノ木ニ  薔薇ノ花サク。  ナニゴトノ不思議ナケレド。    ニ  薔薇の花。  ナニゴトノ不思議ナケレド。  照リ極マレバ木ヨリコボルル。  光リコボルル。北原白秋さんの『薔薇二曲』です。小さい頃から大好きな詩です。「何の不思議もないけれど」と改めていわれると、それが既に奇跡であることに気づきます。言葉の響きと、その意味とのハーモニーが、たまりません。  小学校低学年の頃、この詩を思い出しては、「ナケレド」の意味もよく分からないのに、なぜか涙っぽい気分になったものでした。北原白秋さんのすごさを感じます。むしろ、この詩は不思議です。あ、この記事のタイトルの意味ですが、この詩は私が自主的に暗記した一番最初の詩なんです。２１位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Tue, 06 Mar 2007 23:41:34 +0900</pubDate>
      <category>番外</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首１１－４ 印象派</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/35303712.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと人には告げよ 海人の釣舟わたのはら やそしまかけて こぎいでぬとひとにはつげよ あまのつりぶね参議篁百人一首１１－３ ことづての続きです。５．海人の釣舟この歌は「海人の釣舟」という言葉から受ける印象によって、人それぞれ、かなり違った解釈となりますね。「海人」は、いわば漁夫です。『万葉集』に当時の難波津の光景を描いた長歌があります。抜粋して引用すると、浜に出（い）でて 海原（うなはら）見れば白波の 八重（やへ）折るが上に 海人小舟（あまをぶね） はららに浮きて大御食に 仕へまつると をちこちに 漁（いざ）り釣りけりこれを訳すと、浜に出て海原を見れば、白波が幾重にも折り重なっている上に、海人の小舟は、散り散りに浮かんでいて、「天皇の御膳に差し上げるのだ」と、あちこちで漁をし釣り糸を垂れている。といったところでしょうか。「漁り」にはまた「夜に火を焚いて行う漁」の意もあります。火を焚くのは言うまでもなく魚を集めるためですね。などと、理屈をつけられるのはここまで。あとは自由な解釈ができます。当時の漁は孤独な作業でしたから、彼らなら自分の心細さを理解してくれると感じたのかも。あるいは、黙々と仕事をする人々を見て、かえって孤独感が募ってしまったのか。いろいろ想像してみてください。もちろん「人には告げよ」と「海人の釣舟」に呼びかけているのは、心の中ででしょう。解釈大海原に 多くの島々目指して漕ぎ出したと、愛しいあの人に伝えておくれ。海人の釣舟よ。こんな風に解釈してしまうとつまらないですね。歌の調べと情緒とは訳せません。だから伝説は、この記事の補足です。２２位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Mon, 05 Mar 2007 22:14:27 +0900</pubDate>
      <category>１１~２０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首１１－３ ことづて</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/35123306.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと人には告げよ 海人の釣舟わたのはら やそしまかけて こぎいでぬとひとにはつげよ あまのつりぶね参議篁百人一首１１－３ 嫌だの続きです。３．漕ぎ出でぬと「ぬ」については「あった！」は過去のこと？をご覧ください。「漕ぎ出でぬ」を訳すとすれば、「漕いで出発した」とでもなりましょうか。もちろん本人が漕いでいるわけではないでしょう。でも本人が漕いでいるかのように表現する方が切迫感が出ます。当時の船旅は、いつ難破してもおかしくなく、命がけでしたから。４．人には告げよ『古今和歌集』のこの歌の詞書には、隠岐に流される時、京にいる人（京なる人）に宛てて詠んだ、と書いてあります。だから「人」とは「京なる人」のことでしょう。家族なのか恋人なのかは、わかりません。でも、恋人のような気がしますね。藤原定家さんもそう解釈していたのではないでしょうか。京にいる愛しいあの人には、そう伝えておくれ、というわけです。百人一首１１－４ 印象派に続く。２０位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Sat, 03 Mar 2007 15:45:23 +0900</pubDate>
      <category>１１~２０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首１１－２ 嫌だ</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/35010752.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと人には告げよ 海人の釣舟わたのはら やそしまかけて こぎいでぬとひとにはつげよ あまのつりぶね参議篁百人一首１１－１ わたの続きです。２．八十島かけて「かけて」は「目がけて」や「気にかけて」の「かけて」です。少々かたい言い方をすれば「目標として心に思って」の意。「八十」は、数が多いことを表します。七、八、九の数字は、割とその意味になることが多いようです。七転八倒、八つ当たり、九重など。人間が一瞥で認識できる数の限界と関係あるかしらとも思います。「八十島」で、多くの島々の意ですが、固有名詞として解釈すれば「難波津」のことでしょうね。今の大阪湾一帯。満潮の時は多くの島々だったものが、干潮の時には、それらが地続きとなったのだそうな。さらに「八十島祭（やそしまのまつり）」は、天皇が即位した時に、難波津で神々をまつる行事。さて、ここで、参議篁、つまり小野篁さんについて書きます。彼は遣唐副使に任ぜられたのだけれど、唐へ渡るのに二回失敗。三度目は破損した船に乗るのを不服として、病気を理由に乗船拒否。加えて遣唐使を風刺する漢詩を作ったために、嵯峨上皇の怒りをかい、隠岐に流刑となったのです。当時、隠岐へは、航海技術上、難波津の島々を巡り、瀬戸内海に抜けるルートが一般的でした。百人一首１１－３ ことづてへ続く。２０位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Thu, 01 Mar 2007 22:07:25 +0900</pubDate>
      <category>１１~２０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首１１－１ わた</title>
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      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと人には告げよ 海人の釣舟わたのはら やそしまかけて こぎいでぬとひとにはつげよ あまのつりぶね参議篁１．わたの原「わた」は、海のこと。『万葉集』に、「わたのなか（海の中）」「わたのそこ（海の底）」「わたつみ（海つ霊）」などの例があります。「わたつみ」の「つ」は、現代語では「の」と訳せて、「海の神」の意。また、「わた」は、動詞「わたる（渡る）」とも関係があるかしらと思います。朝鮮語の「pata（海）」と語源は同じという説もある。「原」については百人一首７－１ 最も有名？をご覧ください。というわけで「わたの原」を訳すとすれば、「大海原」といったところでしょう。百人一首１１－２ 嫌だへ続く。１５位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Tue, 27 Feb 2007 23:02:55 +0900</pubDate>
      <category>１１~２０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>更新？</title>
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      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。今日は百人一首８－２ 本気の気になっていたところを書き直してるうちに、新しい記事を書く時間がなくなってしまいました。よければ百人一首８－２ 本気をご覧ください。１４位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Mon, 26 Feb 2007 23:55:16 +0900</pubDate>
      <category>雑話</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首１０ シンガーソングライター</title>
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      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。これやこの 行くも帰るも 別れては知るも知らぬも 逢坂の関これやこの ゆくもかへるも わかれてはしるもしらぬも あふさかのせき蝉丸１．これやこの「これや」は、いわゆる大阪弁の「これや」に近いのではないでしょうか。「これだよ」という感じ。「この」の方は、落語でよく使われる、「お参りをしまして、この、江戸を指して、この、戻り道に・・・」なんていう「この」に似ている気がします。２．行くも帰るも「行く」は、東国へ行くの意。「帰る」は、京へ帰るの意。「東国へ行く人も京へ帰る人も」ということですね。３．別れては「~しては~する」は、同じ行動を繰り返すような時に使います。「走っては、歩く」とか「書いては、消す」とか。４．知るも知らぬも「知る人も知らぬ人も」ですね。５．逢坂の関掛詞です。「逢ふ（あふ）」と、「逢坂（あふさか）」の「あふ」とが、かけられています。重なっている部分を解くと、「逢ふ、逢坂の関」ということでしょう。この歌は声に出して読むと気持ちがいいです。蝉丸さんが実在の人物かどうかは分かりませんが、琵琶の名人であったという伝説があります。さらには盲目であったとも。この歌は耳で読む歌ですね。人々の行きかう音が聞こえてきます。「逢坂の関」は、近江（京都府）と山城（滋賀県）の境の関所。ここを越えたところが東国でした。解釈これやこの、行く人も帰る人も、知る人も知らない人も、別れては逢う、逢坂の関解釈の必要ありませんね。実は、百人一首の中でも、この歌がとくに好きです。百人一首９－３ オーケストラで触れたような、「世」をたとえて詠んだのだと考えると、恋愛の歌とも解釈できますね。１９位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Sun, 25 Feb 2007 20:10:00 +0900</pubDate>
      <category>１ ~１０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首９－３ オーケストラ</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/34586572.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。花の色は うつりにけりないたづらに わが身世にふる ながめせしまにはなのいろは うつりにけりないたづらに わがみよにふる ながめせしまに小野小町百人一首９－２ 自然と人との続きです。４．わが身世にふる「ふる」は、「経る」あるいは「古る」で、古くなる、老いるの意。「世」は、「世の中」の意だけでなく、「男女の仲」を意味することがあります。ここでも、おそらくその意味が含まれているでしょう。実のところ百人一首８－２ 本気の「世」だって、そうとることが可能ですね。５．ながめせしまに「ながめ」は「眺め」で、物思いに耽りながら、一か所を見つめるの意。「せ」は、動詞「す」の未然形。「する」の意。「し」は、助動詞「き」の連体形。「あった！」は過去のこと？参照。「ながめ」をしていた自分を振り返っているんですね。「ま」は、漢字で書くと「間」です。さて、ここまでは表の意味。この歌には掛詞が二つあります。「ふる」を「降る」に、「ながめ」を「長雨（ながめ）」にかけています。だから、「わが身世に経る、降る長雨、眺めせしまに」と、裏に「降る長雨」という言葉が入っているのです。「降る長雨」を「眺め」ていたのだとも解釈できます。「長雨」は一つのイメージで、もしかすると心象風景でしょうか。そう考えるとシュールですね。あるいは、長雨が降ったことで、花の色があせてしまったのかもしれません。さらに「眺め」は歌を詠む意の「詠め（ながめ）」を連想させる。この意味の多重性は、まともに訳せません。あ、あと「花」といえば、桜のことですね。解釈「花の色は」１．花の色は２．美しかった私の容姿は３．男をとりこにした色気は「うつりにけりな」１．あせてしまったわ２．衰えてしまったわ３．年を取って失われてしまったわ「いたづらに」１．無駄に２．むなしく「わが身世にふる」１．わが身も寄る年波には勝てず老いてしまった２．男とかかずらっている間に年を取ってしまった３．（わが身同様）長雨が降って花は色あせてしまった「ながめせしまに」１．物思いに耽りながら花を眺めている間に２．物思いに耽りながら長雨を眺めている間に３．男のことで物思...</description>
      <pubDate>Sat, 24 Feb 2007 21:48:30 +0900</pubDate>
      <category>１ ~１０</category>
      <author>百人一首</author>
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        <item>
      <title>百人一首９－２ 自然と人と</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/34438070.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。花の色は うつりにけりないたづらに わが身世にふる ながめせしまにはなのいろは うつりにけりないたづらに わがみよにふる ながめせしまに小野小町百人一首９－１最も有名な人？の続きです。３．いたづらに「いたづらに」は「無駄に」の意。「期待はずれだった」という意味合いもあるかと思います。この言葉は上の句にかかるのか、下の句にかかるのか。論争のあるところですが、「いたづらに」という言葉は、「自然」の成り行きにではなく、「人」が関わることに、かかる性質を持っています。だから順当にいけば下の句ということになります。「花の色は うつりにけりな」は「自然」の成り行きですからね。しかし、この歌、上の句も、下の句も、一概に「自然」か「人」かと振り分けられない事情があるんです。というわけで「いたづらに」は、上の句と下の句との両方にかかっている、と言っていいんじゃないかしら。この歌には、表の意味と裏の意味とがあります。このことは、よく知られていますね。百人一首９－３ オーケストラに続きます。１５位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Thu, 22 Feb 2007 23:21:21 +0900</pubDate>
      <category>１ ~１０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首９－１ 最も有名な人？</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/34366272.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。花の色は うつりにけりないたづらに わが身世にふる ながめせしまにはなのいろは うつりにけりないたづらに わがみよにふる ながめせしまに小野小町１．花の色は「花」は、美しいもの、明るいものの代表ですね。「花嫁」「花（華）やか」「花々（華々）しい」「花（華）がある人」などの言葉に象徴されています。「色」には、色彩のことだけでなく、「色気」という意味もあります。２．うつりにけりな「うつり」は「移り」で、移ろいゆくの意。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は気づきの助動詞。ともに「あった！」は過去のこと？を参照してください。「な」は、現代でも「な」あるいは「なあ」と使われます。「ずいぶん大きくなったな」「気づかなかったかな？」「素敵だなあ」など。念を押すような感じですね。「うつりにけりな」で、「気がつけば、移ろい、あせてしまったなあ」と訳しておきます。百人一首９－２ 自然と人とに続きます。１４位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Thu, 22 Feb 2007 00:32:03 +0900</pubDate>
      <category>１ ~１０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首８－２ 本気</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/34240376.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。わが庵は 都のたつみ しかぞすむ世を宇治山と 人はいふなりわがいほは みやこのたつみ しかぞすむよをうぢやまと ひとはいふなり喜撰法師百人一首８－１ 動物？の続きです。４．世を宇治山とここは、どう考えても掛詞。「憂し（うし）」と「宇治（うぢ）」とをかけています。いわばダジャレです。図示すれば、世を憂し  ｜｜  宇治山といったところでしょうか。百人一首８－１ 動物？でも触れましたが、この歌には、いくつかの掛詞があるといわれています。たぶん、そのせいで、この歌は、「明るい」だとか、「洒脱」だとか、「飄々としている」だとか、形容されることが多いんです。言葉遊びの要素がそういうイメージにつながっているのだと思います。さきほど「掛詞」をたとえて「ダジャレ」と言いましたが、掛詞は別に笑わそうと思ってふざけてやっているわけでなく、表現のための一つの技巧であり、マジメなものなんです。「マジメなもの」という言い方もおかしいですけど。もちろん掛詞が諧謔に使われることもあると思います。根本は言葉遊びですから。しかし今回は「世を宇治山」を、ある心情を表現するための掛詞と見ます。「憂し」は「憂鬱だ」の意。「宇治山」は作者が住んでいる場所。では「を」はどこにかかるのか。「世を宇治山」で、ひとかたまりです。「を」のかかっているところが見当たりませんね。掛詞とするために省略しています。しかし、意味の上で、だいたい想像がつく仕組みになっていて、「世の中を憂鬱だと思う」「世の中を憂鬱だと感じる」そんなところでしょう。つまり、これが「しか」の内容です。作者は「世の中を憂鬱に思って宇治山に住んでいる」のです。これ、暗い歌ですよ。「世」については百人一首９－３ オーケストラ参照。５．人はいふなり助動詞「なり」は百人一首７－２ 春日参照。「なあり」の方ですね。「人はいふなり」で、「（世間の）人は言っているそうだ」と訳しておきます。つまり「世を宇治山」は作者が自分で作ったフレーズではないんですね。「世間の人は私の今の生活を『世を宇治山』なんて表現していますよ」と言うことで、自分の生活を表現したわけです。人の言葉を借りたのは、ちょっとした恥じらいからかもしれませんね。そんなわけで、百人一首８－１ 動物？で挙げた、掛詞に関する二つの説には、今回お休みしてもらいました。魅力的な説ですが、この記事では歌の意味がぼやけてしまいそうだったので。多くの百人一首の解説書で、この歌は、「私は、このようにのどかに暮らしているのに、世間の人は言う、私が世の中を憂鬱と思って宇治山に逃れ住んでいると」といった感じに訳されているようです。しかし「しかぞすむ」のあとに逆接の表現がないので、この解釈には違和感があります。「しかすめど」などだったらいいんでしょうけど。でも「住む（すむ）」を「澄む（すむ）」にかけたと考えると、「しかぞすむ」は、二つの意味を合わせて、「このように心を澄まして住んでいる（のに）」という意味になりますから、調べも明るく感じられます。解釈次第で、全く逆の意味になるのが面白いですね。解釈わが庵は都の東南。そう、宇治山。「世の中を憂鬱と思って宇治山に逃れ住んでいる」という意味で私のことを世間では、「世を宇治山」なんて言っている。本当にその通りだな。あえて少数派の解釈をしました。ところで、喜撰法師は実在の人物かどうかさえ疑わしい。伝説によると、この人、仙薬を飲んで、どっかに飛んでっちゃったらしいですよ。それっきり消息不明なんですって。１７位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Tue, 20 Feb 2007 19:13:32 +0900</pubDate>
      <category>１ ~１０</category>
      <author>百人一首</author>
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      <title>百人一首８－１ 動物？</title>
      <link>http://100nin1shu1.seesaa.net/article/34071113.html</link>
      <description>に参加しています。ここをクリックしていただくと、ランキングに反映されます。みなさんの応援が私の力になります。よろしくお願いします。わが庵は 都のたつみ しかぞすむ世を宇治山と 人はいふなりわがいほは みやこのたつみ しかぞすむよをうぢやまと ひとはいふなり喜撰法師１．わが庵は「庵」は「小さな家」といったところか。世捨て人が人里離れた所に住んでいるイメージ。２．都のたつみ「たつみ」は「辰巳」あるいは「巽」で、十二支によって方位を表したもの。「たつみ」は東南。京の都から見て、宇治山は東南の方角にある。３．しかぞすむ「ぞ」の係り結びにつきましては、百人一首５－１ 誰？、百人一首５－２ かなしい、終わりのことをご覧ください。「しか」は指示語。ここでは「このように」と訳しておきます。時代劇なんかで使われる、「しかと心得た」や、言ったことを省略する時に使う、「かくかくしかじか（「かく」も指示語）」の「しか」は、この「しか」ですね。「しかぞすむ」で「このように住んでいる」と訳せます。なお「しかぞすむ」は、「鹿ぞ住む」とか「しかぞ澄む」とかに、かけているという説もありますが、ここでは採りません。理由は百人一首８－２ 本気に書きたいと思います。１７位！応援ありがとうございます！</description>
      <pubDate>Mon, 19 Feb 2007 00:22:03 +0900</pubDate>
      <category>１ ~１０</category>
      <author>百人一首</author>
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